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丹田呼吸はほぼ毎日、時間は短くても行っていました。

しかしながら、最近は車の運転中と入浴中がその多くを占めていました。

EMS(Electrical Muscle Stimulation)器具でプログラムを腹式呼吸トレーニング用に変更したものを作っており、時折、調子が悪い時には丹田に張り付けて電気信号を与えながら丹田呼吸をするということを行っていました。

おかげさまでここ最近は大きな乱れもなく過ごせていました。

ところが、仕事の不安事などが重なったせいでしょう、数日間次第に眠れなくなり睡眠時間が徐々に減っていき、遂に1時間しか眠れない日がやってきました。過去の辛い不眠状態の入り口に差し掛かったようで恐怖しました。

今まで効いていた丹田呼吸が効かなくなったらどうしよう?という不安感もありました。

酷く眠れなかった次の日、しっかりと丹田呼吸をすることにしました。

朝、牛乳とバナナそしてビタミンBのサプリメントを摂取し、仕事前に、坐禅布団にあぐらをかいた状態で前出のEMSを丹田に張り付け電気信号を感じながら丹田に意識して30分、ひたすら呼吸の数を数えて丹田呼吸を行いました。心なしか、頭がすっきりした感覚です。

そして、夜に30分間、坐禅布団にあぐらをかいて座った状態で呼吸の数を数えながら丹田呼吸を行いました。

今日も眠れないのでは・・・という不安とともに夜11時に布団に入るといつの間にか入眠しており、気が付くと朝の5時。6時間途中で起きることなくしっかりと眠れました。

隙間時間で丹田呼吸をすることも大切なことでしょうが、時々、しっかりと丁寧に集中して丹田呼吸をしなくてはいけない、丹田呼吸も訓練だなぁと感じた一コマでした。

これからもまた、様々な不安の中で不眠が訪れることと思いますが、丁寧に丹田呼吸を訓練しておけば身体のあちこちに不調をもたらす病にまではならないだろうと思いました。

心配事がつのると呼吸に集中することが難しい事があります。

先日来、凡人である私にはなかなか割り切りのできない仕事上の悩みが山積し、普段通りに丹田呼吸ができず、できない自分に不安感が生まれてくるのでした。

丹田とお腹の動きに集中しようとしても、すぐに不安の種が発芽して頭の中を覆ってしますのです。眠りも浅くなり、日中の覚醒度合いも活力も落ちてきました。


私の仕事の中に、木工作業もありヒノキを使うこともあります。ヒノキを切ったときに出てくる匂いは体を綺麗に掃除してくれるような爽やかでほんのり甘いような匂いがします。


私はヒノキの木くずを集めてビニール袋に入れ、ビニール袋の口に鼻を入れて数分間匂いを嗅ぎました。この状態で丹田呼吸がしたいのですが、腕がだるくなるのでできません。

そこで、ティッシュでヒノキの木くずを巻いてマスクの中に入れます。マスクの中はヒノキの心地良い香り。ヒノキの匂いに包まれて丹田呼吸を行うと、呼吸に集中することができました。



不安感・ストレスを感じた時の対処法の一つとして

   丹田呼吸を続けていると、お腹の膨らみや凹み、呼吸に関わる筋肉の動きや心拍や鼻腔の空気の流れなど、細やかな体の動きに気付きながらそして修正しながら呼吸を行うようになります。体の細やかな変化に対して気づくことができるようになります。

  さて、強い不安感・ストレスが連続的に表れたときに私の場合は肩こりが表れます。そして、酷くなると頭痛が起きます。

  不安感・ストレスが表れた時に体の状態とリラックスしている状態と比べて

 ・呼吸が浅くなっている 

・肩の筋肉(僧帽筋)に力が入っている 

・猫背になっている 

・足の指先が丸まっている(指先を握っている) 

という状態にあることに気づくことができます。また、これらの状態は癖にもなっています。 


 手をグーに握ると交感神経が優位になり、手をパーに広げると副交感神経が優位になるといいます。足の指でも同じことが言えるのかもしれません。不安感・ストレスの源泉の一つが交感神経優位であることから考えると足の指の状態もチャックするポイントかもしれません。


  これらの状態に気づいた時は、この体の状態とは逆の作用を働かせます。 

・深い腹式呼吸を行う 

・肩の力を抜く 

・背筋を伸ばす 

・足の指先をパーに開いて、その後力を抜く

逆の作用を働かせると、不安感・ストレスは確実に軽減していきます。  

気持ちは楽になり、落ち着いて物事に対処しやすくなります。

中でも、呼吸の影響は最も大きいものと感じてます。


<暗中の矢>

 オリゲル氏の弓はなかなか的に当たらなかった様です。 師範は射るための“精神現在”の状態をいいます。「精神的覚醒の最高の緊張を解き放つためにはあなた方は礼法を今までとは違った仕方で行じなくてはなりません。上手な舞手が舞うように。こうなさればあなたがたの四肢の運動は、正しい呼吸が行われるあの中心から湧き出てきます。するとあなた方は礼法を暗記したもののように繰り広げるではなくて、あたかもその瞬間の霊感によって創造するかのようになり、かくて舞と舞手とが一体になるのです。すなわちあなた方は礼法を神楽舞のように行ずることによって、あなたがたの精神的覚醒が最高の力を得るようになるのです。」そして、的のことを関知せずに見ないように見て射るように指導したのです。 かくしてオリゲル氏は何週間か納得のいかない射を続けていましたが、どうにも我慢ができず師範に抗議の言葉となって現れました。「先生は何十年となく稽古を積まれたのですから、あなたが弓を引かれる時には思わず知らず、ちょうど夢遊病者が正しい道を歩くような正確さで弓と矢の見当をつけられるのでしょう。だから意識的に狙うことなしに的にあてる、というよりはむしろ否応なしに当たらざるを得ないという結果になるのだとは考えられませんか。」「それでは、先生は目隠しをしても当てられるに違いないでしょうね」と。師範は「今晩おいでなさい」と言いました。

 その日の夜、師範はオリゲル氏に指示に道場から50メートル離れたアズチの前に細い線香を立たせて、アズチの前の電灯を切らせました。道場は電灯がついていますが、50メートル先のアズチは輪郭すらはっきりとは分からない状態でした。肉眼で見ることのできない的に向かって師範は2本の矢を放ちました。音で的に中ったことが分かりました。オリゲル氏がアズチに近づいて見て呆然としました。1本目の矢は中央の黒点に中り、2本目の矢は1本目の矢の後部を切り裂いて黒点に中っていました。 師範は言います「・・この結果は“私”に帰せられるものではありません。“それ”が射たのです。そして中てたのです。」 オリゲル氏は師範の矢は暗中の的だけでなく、オリゲル氏の心をも射とめたと記述しています。 その後、苦労の末にオリゲル氏は善い射ができるようになりました。そして“それ”の正体を論じるに至ります。師範はその言を聞き、“それ”の正体を会得したことを告げます。


 <段級審査>

 入門以来5年以上の月日を経て、師範は段級審査を受けるように申し伝えました。審査では、単なる弓の技術ではなく、見物人に惑わされない精神状態が高く評価されることを説明しました。 師範は、審査のための特別なけいこはせず、日常生活の中での所作を正確に、とりわけ呼吸法を完全に遂行することを指導されたのです。 審査は全くもって無事に終わり、オリゲル氏は段位5段の免許状を受けたのです。

 ここでも呼吸法に関する記述がでてきましした。審査において呼吸法は大きな役割を果たした模様です。見物人のいる舞台で落ち着いた精神状態で審査を受けることにも、呼吸法の体得が有効であることを垣間見ることができます。

 <雑感>

 座禅堂で説法と座禅を行い始めて15年以上の歳月がすぎますが、今を生きる生き方に苦心し呼吸法に活路を求めてフォーカスし始めて3年が過ぎます。この書を読んで、呼吸法の玄妙なる力や禅の説法で無数にある理解不能であった問答のいくつかに解を与えて生き方のヒントを与えてくれた書でした。すでに20回は通読していますが、読むほどに新しい気づきが生まれてくる、私にとってとても大切な一冊となりました。 

<正射と失射の狭間で>

  弓を正しく、精神的に弾けるようになったオリゲル氏の次のステップは、引ききった弦から矢を放つこと、「放れ」でした。オリゲル氏が引ききった弦から3本の指でつかんだ矢を放つとき、弓と弦の強い反動が身体に伝播し動揺を引き起こすのです。師範の放れから起こる衝撃はやんわりと受け止められ、師範の体にはなんの動揺も残らないのでした。前者の状態を失射、後者の状態を正射といいます。 氏はどのように矢を挟む指を離していけばよいのか分析・研究しながら稽古を繰り返しましたが、うまく放れができません。阿波師範は「あなたは何をしなければならないかを考えてはいけません。どのように放れをやるべきであるかとあれこれ考えてはならないのです。射というものは実際、射手自身がびっくりするような時にだけ滑らかになるのです。弓の弦がそれをしっかり押さえている親指を卒然として切断する底でなければなりません。すなわちあなたは右手を故意に開いてはいけないのです」と助言します。何か月も進歩の無い放れが続きました。

  あるとき、全くうまく行かないオリゲル氏は師範に胸の内を吐露しました。師範は技術的な事を比喩を用いて、そして精神的な取り組み方を説明するのです。恐らくオリゲル氏は業を煮やしたのでしょう「では私は何をすればよいのでしょう?」と尋ねました。 師範は「正しく待つことを習得せねばなりません。意図なく引き絞った状態の外はもはや何もあなたに残らないほど、あなた自身から離脱して、決定的にあなた自身とあなたのもの一切をすることによってです。」 「ではいつこの新しい稽古が始まるのですか?」とオリゲル氏 師範曰く、「時が熟すまでお待ちなさい。

 私はこの件にとても惹かれるのです。どうしても性急に結果を求めてイライラしたり不安になって集中できないことの多い私としては「正しく待つ。時が熟すまで待つ」という言葉にハッとするのです。 オリゲル氏も述懐しています。-経験だけが教えうるものを、何ゆえ思想の中で先取りしようとするのであろうか。それはこの不毛の性癖を捨て去る最も大切な時ではなかったであろうかー 


<誰が射るのか> 

オリゲル氏の稽古が続きます。弓を引き絞るまではいいのですが、放れの瞬間に集中力が無くなることが避けられません。 師範は「放れのことを考えるのをやめなさい!」「あなたが射を苦しむのは、あなたが本当に自分自身から離脱していないためです。このことを感じ取りなさい。それはすごく簡単なことです。要点はありふれた笹から学べます。雪の重みで笹は次第に低く押し下げられる。突然積もった雪が滑り落ちる、が笹は動かないのです。この笹のようにいっぱいに弾き絞って満を持していなさい。射が落ちてくるまで。実際射とはそんなものです。引き絞りが充実されると射は落ちねばなりません。積もった雪が竹の笹から落ちるように。射は射手が射放そうと考えぬうちに自ら落ちてこなければならないのです。」 オリゲル氏は色々と試行錯誤するのですが、うまく射ることにつながりません。

実に稽古が始まって4年もの月日が過ぎていました。オリゲル氏の日本滞在は6年間。残り2年になり、日本に来て自分は何をしているのかと自身の行動に懐疑的になったのです。 暗中模索の中、師範に問います「いったい射というのはどうして放たれることができましょうかもし“私”がしなければ」と。 師範は「“それ”が射るのです」と答えました。 「そのことは今まですでに2、3回を承りました。ですから問い方を変えればなりません。いったい私がどうして自分を忘れ、放れを待つことができましょうか。もしも“私が“もはや決してそこに在ってはならないのならば。」 「“それ”が満を持しているのです」 「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか?」 「ひとたびこれがお分かりになった暁にはあなたはもはや私を必要としません。そしてもし私があなた自身の経験を省いてこれを探り出す助けをしようとするならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり教師仲間から追放されるに値するでしょう。ですからもうその話はやめて稽古しましょう。」

  しばらくして、オリゲル氏は日本に来て何年もの間進歩の無い弓に対する苦労に対する懐疑や後悔といった念が心にとめなくなっていました。 ある日のこと、オリゲル氏が一射すると、師範は丁寧にお辞儀をして稽古を中断させました。「今しがた“それ”が射ました。」「この射であなたは完全に自己を忘れ、無心になっていっぱいに引き絞り、満を持してました。その時射は熟した果実のようにあなたから落ちたのです。さあ何でもなかったように稽古を続けなさい。」 オリゲル氏はそれから、時々正しい射ができるようになりました。その正射と失射の間ではあまりにも違いが大きいので一度経験されると、正射と失射の違いを明確にすることができました。

  この段階で初めて、アズチと呼ばれる50メートル離れた的に対して対峙することが許されたのです。それまでオリゲル氏は2メートルばかり離れた巻き藁に向かって弓を弾き続けたのです。また、師範はそれを見続けたのです。 “それ”が射るという阿波師範の言葉が玄妙で東洋的魅力で神秘的な言葉と感じます。諸芸に通じた人は“それ”の出現を体得するのでしょう。弓道のみならず他の武道であり、刀鍛冶であり華道であり書道など、“それ”が日本の芸道には内在することをオリゲル氏は語っています。 

<指導法>  

 オリゲル氏はある時小町谷氏に、師範は何故稽古初めから早速正しい呼吸法に向かって突き進むせなかったのかと質問しました。すると彼は「偉大な達人は同時に偉大な教師でなければなりません。我々の考えではこの両者が一心同体であることは全くわかりきったことなのです。もし師範が呼吸の練習で持って稽古を始めたとすれば、あなたが決定的なものを得たのは呼吸法のおかげであるということを師範はあなたに確信せしめなることはできなかったでしょう。あなたはまず第一にあなたの自身の工夫で持って苦汁を舐めなければならなかったのです。師範があなたに向かって投げ与える救命のブイ(浮き輪)をつかむ準備ができる前に。」  オリゲル氏が“精神的”にすなわち弓を力強くしかも骨折らずに引くことができるようになるのに1年の歳月を経ています。2メートルばかり離れた巻き藁に向かって1年間弓を引くだけの稽古をひたすら繰り返したのです。 

 

 得てして我々は、目の前の結果を得るために急いでしまいます。それは教える側も教えられる側もです。どういう理屈でこうなるのかを事細やかに説明する指導者と理屈がわからないと動かない生徒。技術としてはそれでいいのでしょう。しかし、精神的に深く身に付くということは阿波師範の「自身の工夫で苦渋を舐めているときに差し出すブイ」という指導法でなくてはならないのかもしれません。時間的な回り道である悩むというプロセス、指導者も生徒も「待つ」というプロセスこそが人の精神的な成長を促すのかもしれません。


  但し、氏は本誌で後述しておりますが師範と弟子について、弟子が師範について絶対的な信頼を寄せるという文化の重要性(当時の日本的特性)を示唆しております。現在のような先生と生徒の距離感や、保護者と先生の距離感、また情報があふれているなかで、師範を絶対視することは難しいかもしれませんが・・・ 

弓と禅 

オイゲン・ヘリゲル著 福村出版  

「弓と禅」は以前より、気になっていた本。「菊と刀」を読んだのは十数年前ですが、その時に「弓と禅」を読みたいと思っていました。禅に傾倒していたアップルの創始者であるスティーブ・ジョブ氏の愛読書として、海外でも脚光を浴びている書です。 

本を購入するきっかけとなったのは、ラジオ番組「武田徹也 朝の三枚おろし」のyoutube動画を拝聴していた時、呼吸法の件(くだり)と弓の師範の言葉「“それ”があなたに弓を射らせるので」という件があったからです。  

著作の挿話は戦前1930年代の話です。哲学者でもあり、神秘的な現象に興味があり、禅の世界に引かれたドイツ人オイゲン・ヘリゲル氏東北帝国大学の哲学史の講師として招かれ、夫人とともに来日しました。 

氏は環境に慣れるとすぐに、禅を体得せんがために禅寺への修行を画策したようですがその敷居はヨーロッパ人には高く、禅と通じる日本的芸道を習得することから始めることにしました。氏の妻は、華道と墨絵を始めることとし、氏は弓道から始めようとしましたが、これは氏が小銃の経験を持っておりその経験が役に立つと考えたようです(その経験は全くもって意味がなかったと氏は述懐しています)。弓道に至った背景に、同大学の同僚に小町谷氏という二十年来の弓道家がいて、小町谷氏が彼の師範である阿波研造師範に取り次いでくれたからに他なりません。

当初阿波研造師範は過去外国人を指導して非常に不愉快な想いをした経験から、ヘリゲル氏の入門を断ったようですが、「私を最も若輩の弟子として扱っていただいても構わない。なぜなら私は弓道を娯楽のためでなくその“奥義”を知るために学びたいから。」との宣言により入門を許されました。

その時、ヘリゲル氏の夫人も入門を許されました。 

初の稽古にて、 師範はヘリゲル氏に一通り弓の説明をしたあと、一本の矢をつがえて弓を大きく引き絞り最後に引き放ちました。氏はこの動作について、大変立派であるばかりでなく、しごく造作もないように思えたと言っています。

そこで、師範がヘリゲル氏に言います。「あなた方も同じようにして下さい。しかしその際、弓を射ることは、筋肉を強めるためではないということに注意して下さい。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。両手だけにその仕事をまかせ、腕と肩の力はどこまでも力を抜いて、まるで関わりの無いようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません。これができて初めてあなた方は引き絞っていることが“精神的に”なるための条件の一つを満たすことができるのです。」 ヘリゲル氏は初めは中位の強さの弓を引きましたが、その弓でさえ殆ど全身の力を要しました。引き絞ったままの姿勢で持ちこたえると両手は震え始め、呼吸が苦しくなったと言います。 氏はしばらくの間(おそらく何週間か)、そのコツを見つけるために苦心をしましたが師範は氏のぎこちない姿勢を矯し、氏の熱心さを褒め、氏の力の浪費を指摘しましたがその他は氏のなすがままにさせておきました。 

<呼吸法>

 あるとき師範は「あなたにそれができないのは、呼吸が正しくないからです。」と告げました。

息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息を緩やかにおし下げなさい。そこでしばらくのあいだ息をぐっと止めるのです。それから息をゆっくりと一様にはきなさい。そして少し休んだのち、急に一息でまた空気を吸うのです。-こうして呼気と吸気を続けていくうちに、そのリズムは次第に独りでに決まっていきます。これを正しく行っていくと弓射は日1日と楽になってくるでしょう。というのはこの呼吸法によって、あなたは単にあらゆる精神力の根源を見出すばかりでなく、さらにこの源泉が次第に豊富に流れ出して、あなたが力を抜けば抜くほどますます容易にあなたの四肢に注がれるようになるからです。」 といい終わると、師範は最も力の強い弓を引いた状態で師範の筋肉を触るようにヘリゲル氏に指示しました。

氏が師範の腕を触ると、全く力がはいっていない柔らかな状態でした。この新しい呼吸法は当然ながら氏が慣れるまでしばらくの時間を要したようです。師範は息を吐くときできるだけゆっくりと連続的に吐き出して次第に消えていくようにすることに非常に重点を置きました。

そして、「吸気は結び結び合わせる息をいっぱいに吸ってこれをグッと止める時一切がうまく行く。また呼気はあらゆる制限を克服することによって解放し完成する」と教えましたが、当時オリゲル氏はこのことを理解することはできませんでした。

氏はこの呼吸法によって稽古を続ける中で成功したわずかな試射と多くの失敗の差があまりにも大きいので呼吸法により精神的に弓を引くことがどのような功徳をもたらすかを体感しています。  氏は呼吸法について、呼吸法は単なる技術的なコツではなく、心を自由にし、新しい可能性を開いていくということに気づいたとあります。 

<不眠症からの解放>

 睡眠の質が改善されることで、死ぬほど体がだるかった朝の起床や日中の眠気が少しずつ確実に変化してきました。 

私は仕事で、車を使うことが多いので車の中でもこの呼吸法をするようになりました。ラジオや音楽はOFFにして、運転と呼吸に集中するようになりました。 

バスや電車の不快感や不安感もあまり気にならなくなりました。バスや電車に乗るときも呼吸法を行っていればいつの間にか目的地につくようになりました。  


およそ2年半続いた不眠症は呼吸法を継続することで、ようやく終止符を打つことができました。決めた呼吸法を始めて3か月くらいの事です。 長い不眠症から開放されたからとは言え、時には仕事や対人関係のストレスでイライラしたり落ち込んだり不安になって眠れない時期が訪れることがあります。私の場合、呼吸法は大きなお守りになっています。多くの場合はこの呼吸法で乗り切れます(時間を長くしたり、回数を増やしたり)。


 今では上記の方法とは他にも体調に合わせて別の呼吸法も行っています(例えば気力を回復するための呼吸法)。また、丹田呼吸をより意識的に行うための器具も作りました。これらは別の機会にお話しさせていただければと思います。 

<私の呼吸法2> 

色々試した結果、一つの型が出来上がりました。 眠るために効果があると思われるテーマを5つに絞り、それにリンクしている呼吸方法を組み立てました。

 1. 心拍数を下げる 60台後半に上がっていた心拍数を一時的でも下げていく。

 このことで、気になっている心臓の高まりを抑制する。 →呼気をゆっくりすることで即効性あり 

2. 副交感神経を高めて不安を軽減させる 

日常の不安が常につきまとい、特に夜はその不安が鮮明になります。これは交感神経が優位になっている表れなので、副交感神経を優位にすることに努めることにしました。 また、交感神経を高めないようにします。 →呼気をゆっくりすることで即効性あり。  また、継続することで副交感神経が鍛えられ、常態化できる。

 3. セロトニン神経を活性化させる(セロトニンを増やす)

 セロトニンは高まった気持ちを和らげて安定させる作用があります。また、セロトニンは夜間に睡眠ホルモンであるメラトニンに変化します。そこで、セロトニンを増やすことに努めることにしました。 →お腹の動きを意識した腹式呼吸というリズム運動を20分以上継続することで、 セロトニンが分泌。

 4. リラックスした状態の脳波、α波を出して、過緊張状態を緩和する 

α波はリラックスした状態の場合に発せられる脳波です。α波を出すことのできる呼吸法はセロトニンを高める呼吸法と重なります。 →お腹の動きを意識した腹式呼吸というリズム運動を5分以上継続することで、α波が出現(3と重複)。 

5. 呼吸をしている間くらいは、あれこれ思い煩わない 

どうしても仕事のことや不眠不調の事、家の事など、未来の不安・過去の自責に囚われてしまう性格です。せめて、呼吸をしている間はそれを忘れてリラックスしたいとの思い。 →呼吸中は雑念をかき消すことができるよう、呼吸の秒数を数える。


 1~5から導きだされた呼吸法のやり方は 

① 鼻呼吸する(深く息が吸えるため、呼気が長くできる)

② 丹田に意識を置いた腹式呼吸をする(お腹の動きを感じて、意識の中心を丹田におく) 

③ 呼気を長くし、下腹部の腹筋を使ってしっかりと吐き切る (副交感神経を高める)

④ 吸気はお腹の力を抜くことで自然に入ってくるところでとどめる(交換神経を高めない) 

⑤ 呼気と吸気の秒数を数え、2:1にする(副交感神経を高め、数を数えることで雑念を消す) 

⑥ 1日のうち、午前に1回と就寝前に1回行う 

これらを実行するために、姿勢は特に定めず①~⑥ができる姿勢であれば立っていても椅子に座っても、座禅の姿勢でも何でもいいことにしました。 

この方法に落ち着くにはもちろん試行錯誤があり、その間の効果もあったのでしょうが、この方法を行い始めて直ぐに、呼吸の心地よさを感じるようになりました。そして2週間目くらいから徐々に中途覚醒の時間が遅くなってきました。毎朝2時半に目覚めていたのが、3時半になり4時半になり、睡眠の質がすこしずつ改善されてきているのが実感されるようになってきました。 

<全ての本で異なる呼吸法> 

十人十色です。 全ての本で、呼吸法が異なります。恐らく、それぞれに特徴があり、効果があると思われます。情報が多いと「これだけを信じて行う」ということが難しくなります。それぞれに書かれている理論や実例などを参考に、そこに納得性を求めてしまう自分がありました。損な性格と思いながらも、自分なりに納得する理屈を組み立てていきました。

 全ての本に共通する2つの点と多くの本に共通する1つの点があります。 前者は  

 ・腹式呼吸をする 

 ・吐く息を長くする 

後者は 

 ・丹田に意識を置く 

合計3点がほとんどの書物に書かれている呼吸法の共通項になります。

 昔の本は、経験的な見地からの記述になりますが、新しい本では脳波やホルモンや自律神経の活性状況などを科学的な裏付けとして記述されているものが多くなります。新しい本になるほど、その分析手法が新たに生み出されているので、仮説の裏付けとしてみると納得性が増えていきます。

  呼吸法の本にはよくお釈迦様の呼吸に関する記述や、仏典上のお釈迦様の言葉が記されています。お釈迦様は偉大な覚者であるとともに自分の体をもとに呼吸と自分の心の関係を試し気づかれた偉大な科学者でもあります。呼吸のやり方によって心身がどのように作用するかを体験として捉え、その効能を人々に伝えました。科学的な論証はなくとも、当時はお釈迦様という言葉だけで信じられたのでしょう。 今は情報が多い分だけ、効果の裏付けが無いと信じ切れない世の中なのではないでしょうか。 私も悲しいかなその傾向があり、理論的な説明と自分が呼吸法を通してどのように心身が変化するかを微妙に感じ取って、自分のあった呼吸法とその理屈を見つけ出すという作業を重ねてきました。 



<私の呼吸法1> 

私が呼吸法に重きをおいて、呼吸法に取り組んだのは2017年9月頃でした。色んな本を参考にいくつかの呼吸法を試しながら少しでも眠ることができなか?楽になれないか?ということを探求しておりました。

前述の通り、本によってやり方は様々。はっきりいってエネルギーの枯渇している私には面倒くさい所作が加わるものはNGでした。複雑なポーズをとったり、1日に何種類もの呼吸法があったり、秒数を定義づけられたり・・ 色々と試してみてみましたが、実生活とあわせてできないものが意外と多くありました。 それらのプロセスを通して私の中ではっきりしていたのは 

 ・毎日続けられる

  ・最低30分は続けられる

  ・信じることができる ということでした。 

従って、

  ・単純であること

  ・眠るための理屈に納得性があること

  ・場所を選ばないこと(色んな場所でできること)

  ・現代の科学的理屈に合っていること 

が私の場合は大切だということを体感しました。 これらの全てを満足するにはいくつかの本に書かれている呼吸法を取捨選択する必要があるという考え方に至りました。 但し、殆どすべての本に共通の 

 ・腹式呼吸をする

  ・吐く息を長くする

  ・丹田に意識を置く 

は欠かすことのできない要素であるとの考え方で。 

<諸症状>

 まさに負の連鎖です。 不眠が続くと、体力も気力も低下します。朝、寝床から出るのが本当につらいのです。かといって横になっているからといっても眠れるわけでもなく、得体の知れない不安感がいつも私をとりまいています。やる気もおきない、いつも不安にさいなまれていて仕事のみならず日常の生活においても何もやる気が起きない、何をやっても楽しくない、人前や乗り物が怖くなる。生きていく自信がなくなる。この心理状態がますます不眠を生んでいるように感じました。 この度の不眠症・心の乱れは2002年の時よりも深刻でした。当時はまだ、お酒を飲むとき、子供と話すとき、本を読んでいる時など多少なりとも楽な瞬間を味わうことができましたが・・ 

苦しさが高波のように訪れてきた時に、パニック的に病院に駆け込むことが何度かありました。 1日の中で片時も楽になる瞬間がない。不眠症とうつ状態の連鎖でますます下に下に落ち込んでいくのでした。



 <色々試した睡眠や心身不調の改善>

 もちろん、この間、試行錯誤の連続でした。自分という体を実験材料にして良いといわれる沢山の方法を試したのでした。試す以上は1日2日で止めるのではなく、1か月以上は継続して みました。本やネットで紹介されている方法を試していました。 

・朝のウオーキング 

・ヨガのポーズ 

・座禅 

・眠りのつぼ 

・入眠前3時間の過ごし方(禁止飲食物を摂取しない、スマホを見ないなど)

 ・リラックス音楽 ・お香 ・入浴法(ぬるめのお湯に長めに入る)

 ・栄養(食材やサプリメントなど)

 ・思考方法の転換(プラス思考・諦め・考えない方法など) 

うつ病に関する2つの通信講座もやりました。 恐らく、多少は改善に寄与したものもあるのでしょうが、調子が良くなったと実感するにはいたりませんでした。 

<眠れない2年半> 

私が酷い不眠症に陥ったのは2015年6月くらいから2018年1月でした。 通常は夜12時~1時に寝て、6時頃目が覚めていました。入眠には5分とかかることはありませんでした。 ところが12時に寝始めてもなかなか寝付かれず、必ずのように2時30分に目が覚めて、そこから寝たり起きたりを何度も繰り返す浅い眠りのまま、朝を迎えます。 1か月くらいは我慢したでしょうか。心療内科に通い、睡眠剤や抗不安剤や抗うつ剤或いは漢方薬を処方してもらいました。早寝早起きを勧められ、夜10時~11時に床につくようにしました。しかしながら、薬を飲んで早く床についても、今度は1時30分に目が覚めるようになり、そこから浅い眠りと覚醒を繰り返すばかりで、睡眠の改善が見られませんでした。もちろん、お酒を飲んでも眠れません。はっきり感じるのは、お酒を飲むと更に眠りが浅くなるので辛いということでした。 病院に行くと、薬が増える一方でした。 



<危険な状態> 

眠れない。薬も増える。朝はぼーっとした状態で布団から出ることが吐きそうになるくらいしんどい状態が続きます。背中を丸めていつもの半分以下の朝食をかきこんで、得意先の会社まで30キロ約1時間の道のりを車で運転するのですが、不眠による慢性的な疲れと薬の作用でしょう、その30キロの間に睡魔が襲い2度は止まって車のシートを倒して15分くらいの浅い睡眠をとらなくてはなりません。仕事中も集中力がなく、いつもは1時間でできる仕事が2時間も3時間もかかります。帰宅時の運転は睡魔から3度も車を止めて浅い眠りをとらなくてはいけませんでした。 体がだるい。とにかくぐっすり眠りたい。パートさんや家族が「痩せた?」と聞く機会が増え、元々身長が高くやせ型の私ですが恐る恐る体重計にのると、72キロの体重は63キロまで落ちていました。「食べんと!」と家族に言われても、全く食欲がないので食べられません。 あまり自分の顔を鏡でみることが無い私。自分の顔を鏡で見て、この生気の無い痩せこけた顔が自分の顔か!?驚くのでした。