弓と禅(3)
<正射と失射の狭間で>
弓を正しく、精神的に弾けるようになったオリゲル氏の次のステップは、引ききった弦から矢を放つこと、「放れ」でした。オリゲル氏が引ききった弦から3本の指でつかんだ矢を放つとき、弓と弦の強い反動が身体に伝播し動揺を引き起こすのです。師範の放れから起こる衝撃はやんわりと受け止められ、師範の体にはなんの動揺も残らないのでした。前者の状態を失射、後者の状態を正射といいます。 氏はどのように矢を挟む指を離していけばよいのか分析・研究しながら稽古を繰り返しましたが、うまく放れができません。阿波師範は「あなたは何をしなければならないかを考えてはいけません。どのように放れをやるべきであるかとあれこれ考えてはならないのです。射というものは実際、射手自身がびっくりするような時にだけ滑らかになるのです。弓の弦がそれをしっかり押さえている親指を卒然として切断する底でなければなりません。すなわちあなたは右手を故意に開いてはいけないのです」と助言します。何か月も進歩の無い放れが続きました。
あるとき、全くうまく行かないオリゲル氏は師範に胸の内を吐露しました。師範は技術的な事を比喩を用いて、そして精神的な取り組み方を説明するのです。恐らくオリゲル氏は業を煮やしたのでしょう「では私は何をすればよいのでしょう?」と尋ねました。 師範は「正しく待つことを習得せねばなりません。意図なく引き絞った状態の外はもはや何もあなたに残らないほど、あなた自身から離脱して、決定的にあなた自身とあなたのもの一切をすることによってです。」 「ではいつこの新しい稽古が始まるのですか?」とオリゲル氏 師範曰く、「時が熟すまでお待ちなさい。」
私はこの件にとても惹かれるのです。どうしても性急に結果を求めてイライラしたり不安になって集中できないことの多い私としては「正しく待つ。時が熟すまで待つ」という言葉にハッとするのです。 オリゲル氏も述懐しています。-経験だけが教えうるものを、何ゆえ思想の中で先取りしようとするのであろうか。それはこの不毛の性癖を捨て去る最も大切な時ではなかったであろうかー
<誰が射るのか>
オリゲル氏の稽古が続きます。弓を引き絞るまではいいのですが、放れの瞬間に集中力が無くなることが避けられません。 師範は「放れのことを考えるのをやめなさい!」「あなたが射を苦しむのは、あなたが本当に自分自身から離脱していないためです。このことを感じ取りなさい。それはすごく簡単なことです。要点はありふれた笹から学べます。雪の重みで笹は次第に低く押し下げられる。突然積もった雪が滑り落ちる、が笹は動かないのです。この笹のようにいっぱいに弾き絞って満を持していなさい。射が落ちてくるまで。実際射とはそんなものです。引き絞りが充実されると射は落ちねばなりません。積もった雪が竹の笹から落ちるように。射は射手が射放そうと考えぬうちに自ら落ちてこなければならないのです。」 オリゲル氏は色々と試行錯誤するのですが、うまく射ることにつながりません。
実に稽古が始まって4年もの月日が過ぎていました。オリゲル氏の日本滞在は6年間。残り2年になり、日本に来て自分は何をしているのかと自身の行動に懐疑的になったのです。 暗中模索の中、師範に問います「いったい射というのはどうして放たれることができましょうかもし“私”がしなければ」と。 師範は「“それ”が射るのです」と答えました。 「そのことは今まですでに2、3回を承りました。ですから問い方を変えればなりません。いったい私がどうして自分を忘れ、放れを待つことができましょうか。もしも“私が“もはや決してそこに在ってはならないのならば。」 「“それ”が満を持しているのです」 「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか?」 「ひとたびこれがお分かりになった暁にはあなたはもはや私を必要としません。そしてもし私があなた自身の経験を省いてこれを探り出す助けをしようとするならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり教師仲間から追放されるに値するでしょう。ですからもうその話はやめて稽古しましょう。」
しばらくして、オリゲル氏は日本に来て何年もの間進歩の無い弓に対する苦労に対する懐疑や後悔といった念が心にとめなくなっていました。 ある日のこと、オリゲル氏が一射すると、師範は丁寧にお辞儀をして稽古を中断させました。「今しがた“それ”が射ました。」「この射であなたは完全に自己を忘れ、無心になっていっぱいに引き絞り、満を持してました。その時射は熟した果実のようにあなたから落ちたのです。さあ何でもなかったように稽古を続けなさい。」 オリゲル氏はそれから、時々正しい射ができるようになりました。その正射と失射の間ではあまりにも違いが大きいので一度経験されると、正射と失射の違いを明確にすることができました。
この段階で初めて、アズチと呼ばれる50メートル離れた的に対して対峙することが許されたのです。それまでオリゲル氏は2メートルばかり離れた巻き藁に向かって弓を弾き続けたのです。また、師範はそれを見続けたのです。 “それ”が射るという阿波師範の言葉が玄妙で東洋的魅力で神秘的な言葉と感じます。諸芸に通じた人は“それ”の出現を体得するのでしょう。弓道のみならず他の武道であり、刀鍛冶であり華道であり書道など、“それ”が日本の芸道には内在することをオリゲル氏は語っています。
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