白隠禅師と内観の法
白隠禅師:内観の法 江戸時代の禅僧で、臨済宗中興の祖とも称される白隠禅師。 当時「駿河には過ぎたるものが二つあり。一に富士、二に原の白隠」と呼ばれた傑出の巨人だったようです。 白隠禅師の病と修養方法を表した書籍に「夜船閑話」があります。 この中に、内観の秘法という「丹田」を意識した呼吸法による治癒・健康法が説かれています。
白隠禅師の病状
白隠禅師は苛烈な修行がたたって、精神的・身体的な疾患に至ったようです。 症状としては、 ・不眠/多夢 ・肺や頭が熱く、両足が氷のように冷たくなる ・居振る舞いすべてに恐怖感を持つ ・わきの下からの汗 ・目に涙が溜まる ・耳鳴り があり、名医を訪ねて種々医療を試みたものの、効果がなかったようです。
白幽子
白隠禅師は京都の山中に白幽子という天文・医道に通じる隠者がいるとの情報を得、山中深く分け入り苦労の末、探しあてることができました。白隠禅師は礼を尽くして、病気の因縁を告げ、その救済を乞うたのでした。 白幽子の教え 白幽子は、いくつかのアドバイスをしたようですが、その中で心気を下方に充実させ、体の上部を涼しくし、下部を常に温暖にすることが重要と説いています。 心気(元気)すなわち心的エネルギーを丹田に充実させることを長年月修めることができれば病気になることもなく凡人とは異なる能力をも発揮することができるといいます。 この秘法を受け、白隠禅師は自らの病を快癒させ、その方法(内観の法)を弟子や市井の人々に教えたとの事です。
内観の法 <基本的な心構え>
一切の考え事を放棄して熟睡できるよう努めます。工夫や談話を止めて、雑念を排して熟睡して目を覚ますという習慣を心がけるということです。 満腹になるまでの食事はせず、内観の法は食前・食後を避けて実施します。
<内観の法>
・仰向けに寝た姿勢で、
・長く足を延ばし
・両足の踵をそろえ
・下半身とりわけ丹田に意識を集中します。
・以下の4つの言葉を念じ唱えます(現代風に意訳)。
1.気海丹田、腰脚足心、自己本来の元気どこからでも湧いてくる。
2.気海丹田、父母から贈られた我が身である。
3.気海丹田、ここに心が収まれば浄土も遠くない
4.気海丹田、ここに心が収まれば真に落ち着き阿弥陀仏となる
これらの言葉は丹田に意識を集中してエネルギーを丹田ならびに下部に充填するためのある種の方便ととらえることができます。また、この内観の法の効果が絶大であることをまずは信じるという過程を入れたものだと思います。
・呼吸は腹式呼吸です
・鼻の先に一本の細い毛があると想像してください。
・その毛を動かさなうようイメージし、静かに鼻腔から呼吸します。
・静かに呼吸すること300回を数えます。
※さらにできる人は1000回を数えます。
※これを毎日行えば、いずれ心身の難病も完治すると書かれています。
<ウメカの気づき>
丹田呼吸の自律神経に及ぼす影響は、他のページに設けるのでここではふれませんが、まず、自分というものがかけがえのない存在でありその潜在力を回復すると宣言し、後はただただ、静かなる呼吸の数を数えていくという行為には心身の改善に深い意味があるように思います。
同書の中に、人は生活の中で「物思い」・・すなわち雑念に襲われるとあります。「世に知恵のある人の病中ほど物苦しいものはない。知恵のあるままに過去・未来のことを際限なく思いめぐらし、看病の人の好悪を咎め、同職の人の栄達をうらやみ、生前に名聞をとげられないことを憂い、長夜の苦患を恐れ、自らの育ち出生に憤り、神仏を祈ってはその功徳が現れぬのをののしり、目を閉じて仰臥している姿は物静かなれど、胸中は九国の合戦よりも騒がしく、心情は地獄の苦しみである。三合(約0.5リットル)の病に八石五斗(約1530リットル)の物思いで患っている」とあります。まさに未来への心配事や怒りや自責の念などが心の中でパンパンになっている姿を現しており、現代人の抱える心の問題と同じようですね。
呼吸の数を数えるのを数息観(すそくかん)といいますが、内観の法では功徳への信頼、呼吸のスピードと数息観により、雑念を少なくしていき、しっかりと眠り、物事に集中できる体質に近づけていくという感じがいたします。
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